エルンスト・ゴットリープ・バロン(1696-1760)は、ドイツのリュート、テオルボ奏者、作曲家です。14歳ころからリュートを学び始めたバロンは音楽家としての頭角を現し、家業の金モール職人を継ぐという周囲の期待に反して、有能なリュート奏者として活躍していきます。
バロンは、1719年から1728年にかけて、ハレやケーテンなど、各地の宮廷でリュート、テオルボ奏者を務めました。ケーテンでは、11歳年長のJ.Sバッハと何らかの交流があったものと思われます(J.Sバッハのケーテン時代は1717-1723)。
その後もドイツ各地を訪れたバロンは、1737年ころからプロイセン皇太子フリードリヒのもとでテオルボ奏者を務めます。皇太子が、フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)として即位後は、64歳で没するまでプロイセン王立音楽協会のテオルボ奏者として仕えました。同時期に、フリードリヒ大王専属のチェンバロ奏者として、J.Sバッハの次男C.Ph.Eバッハが在職していました。
バロンはバロック時代最大の作曲家テレマンとも交流があり、テレマンが1728年から1729年にかけて出版した大作『忠実な音楽の師』に、S.Lヴァイス(1687-1750)とともにリュート作品(組曲ト長調)を提供しています。
この作品「リコーダーとリュートによる協奏曲(Concerto a flauto dolci, au luth)」は、オブリガートリュートにリコーダーと同等の存在感を持たせていることから「協奏曲」と冠されていますが、実際には、緩-急-緩-急の教会ソナタです。